履歴

横浜市磯子区に生まれる。 1998年にテキサスに留学するまで、 同地にて育つ。

1993年3月  栄光学園卒業
毎日、何をすることもなく雲を見てすごした。 良いところだった。 高校に上がった頃から昼寝をする癖がついた。

1993年4月  東京大学理科一類入学
学部時代は一貫してTVゲームとバイトに多忙。

1995年4月  同理学部数学科進学
高校時代に科学雑誌を通して理論物理に興味を覚えたが、 現代数学については完全に無知。 そんなわけで大学入学時は理物に進もうと思っていたが、 線形代数が面白かったので数学に進むことになった。 実は微分方程式が嫌いであるという理由も大きい。

当時、3年生向けの講義は一日一科目で午前午後を通して行われたが、 昼寝癖のせいで後ろ半分はほとんど聞き逃した。 おかげで、知識は穴だらけであった。 冬になり大学院とび入学試験があるというので、 とりあえず受けてはみたが、失敗。 口頭試問の場で、自分がいくつかの基本的なこと (例えばルベーグ単調収束定理)をまったく知らない という事実に気付かされた。

少し態度を改め、 4年生の春にルベーグ積分とホモロジー代数を市立図書館で勉強する。 ついでに関数解析の教科書も眺めてみた。 (市立図書館で岩波基礎数学選書をそろえるなんて贅沢なことは おそらくもう許されないだろう。) 函数解析に興味を覚えたので、夏休みにはConwayの本(GTM96)を読んだ。 数学の本を一冊通読したのはこれが初めてだった。 継続してまじめに勉強したのもこれが初めてだった。

函数解析の勉強を続けたかったので、 大学院の進路希望には作用素論か作用素環論と書いた。 実は微分方程式が嫌いであるという理由も大きい。 口頭試問のとき、東大には作用素論は無いんですよ、 と言われたので作用素環論を選択。 このときに至っても作用素環についてはConwayの教科書で 読んだこと程度しか知らなかった。 4年後期のセミナーでStratila-Zsidoの教科書を読んだ。 修士1年の前期で終わった。

1997年4月  東京大学大学院数理科学研究科修士課程入学
河東先生と泉先生の指導の下、作用素環を学んだ。 ひょんなことからマイナー分野であった作用素空間論の勉強を始める。 夏休みはWassermann講義録やKirchberg論文などを読む。 この年の秋に河東先生に薦められて、 作用素空間論の専門家であるテキサス農工大学(以下、TAMU)のPisierのもとに 留学することを決意。 そんなわけで、小学校入学以来、 ようやくテストの無い年を過ごすことができるかと思いきや、 GREやTOEFLを受けることとなった。 98年の春に、学振の奨学金に応募するための書類を書く。 応募書類を充実させるため、 自分の結果を出そうと3ヶ月ほど努力するも徒労に終わり、 自分の研究者としての資質に不安を抱く。 でも、書類にはいろいろ書いた。

1998年7月1日  Texas到着
TAMUでの待遇は、奨学金が毎月1200ドルで初めの一年間は仕事なし、 というものだった。 授業料は州民向け割引を受けた。 7月中旬のワークショップでPisierに会ったが、 彼は8月になるとなぜかParisへ帰って行ってしまった。 TAMUとParis第六大学の両方に籍があるのだ。 驚いて彼から以前もらった電子メイルたちを調べたところ、 秋はParisにいるから私の面倒は見られないとハッキリ書いてあった。 英語で書いてあったので、それまで読まなかったのだ。 それから五ヶ月間ほとんどまったく他人と話さなかった。 たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった。 一年間住んだアパートはむやみにでかかった。 自家用車も公共交通もなく、人とも付き合わなかったので、 生活にはいろいろ不便した。 特に空港まで行くのには難渋した。

1998年年末に学振採用の報告を受ける。 河東先生の助力のおかげである。 具体的には推薦状をいただいたほか、 応募書類の書き方や面接でのプレゼンテーションの仕方を教わった。 特に、「どうせばれないんだからはったりが大切です」 という助言には目からうろこが落ちた。 その後、TAMUで英語の授業と資格試験の両方に落第して奨学金を失うことになるが、 学振のおかげで助かった。 さらに、99年9月から翌年の2月にかけてParisのPoincare研究所で 開かれる研究集会"Free Probability and Operator Spaces"に行くことが できるようになった。 年が開け新学期になると、PisierがTAMUに戻ってきた。

1999年3月  修士(数理科学)取得
1999年4月  東京大学大学院数理科学研究科博士課程進学
1999年4月  日本学術振興会特別研究員(DC1)
博士課程に進学するもTexasにいたので別段、環境に変化無し。 6月にあった日米作用素環セミナーのため一時帰国。 ついでにフランス留学のためのビザを申請するが却下される。 研究所に行くというのに私が博士号を持っていないことが問題とされた(らしい)。 Texasの夏はこの年も暑かった。 Poincare研究所の後、 MSRIの通年研究集会"Operator algebras 2000-2001"に行くことにした。 そんなわけで、TAMUのPh.D.は諦めるつもりだったが、 多く人の努力のおかげでなんとかなることになった。 感謝。

1999年9月--2000年6月  Paris遊学
Parisは食べ物もうまいし、退屈しない楽しいところだ。 Claude Bernard通りにあるPisierが所有するステュディオに住んだ。 研究集会"Free Probability and Operator Spaces"の行われている 間は毎日Poincare研究所に通い、そこでいくつかの論文を書いた。 この時期までの研究はKirchbergの仕事・アイディアを 作用素空間に翻訳・適用することで得られたものが多い。 (当時の)作用素空間論には、 (書き方が)難解で有名なKirchberg論文の解読をする人はいなかったので、 いくつものことが手付かずで残っていたのだ。 難しい論文は難しいうちに読むと得るものが大きい。 2月に研究集会が終わると、Paris第六大学に移った。 このとき某氏のプレプリントを読んでいて、 某未解決問題がアッサリ解けることに気がついた。 おかげでこの後一年余りの間、数学的ウツに悩まされる。 新しい研究に身が入らない、 なんら進展が見られない同じ問題に長期間こだわる、 という停滞のことだ。

2000年3月  博士(数理科学)を東大から取得
2000年4月  東京大学大学院数理科学研究科 助手
2000年9月--2001年5月   MSRI (Berkeley) "Operator algebras 2000-2001"
英会話に対して臆病なため、 MSRIでは日本人研究者たちと過ごす時間が多かった。 それでも多くの人たちに出会えたことはいい経験だった。 研究の方は、 修士論文で取り組んだ(有名?)未解決問題を解こうと空回りを続けただけ。 そんな中、気晴らしに離散群論を勉強しておいたのが後になって役に立った。

2001年5月   Ph.D.(Mathematics)をTAMUから取得
博士論文はこれまでに得られた結果をまとめただけ。 それでも、数学的な内容とは無関係に、 博士論文が形式どおりに書かれているかどうかを審査する部門が大学にあり、 何べんも書き直しを命じられて辟易した。 Ph.D.を持っていると米国内での職探しに便利かもしれない。 Pisierは一年の半分以上TAMUにいなかったので、 指導教授は書類の上ではJohnsonということになっている。

2001年6月--2002年3月   東大
ようやくスランプ脱出。 しかし、相変わらず思いつきの仕事で論文を書く。 東大では線型代数の演習を受け持った。 昔は難しいと思っていたことでも、 慣れてしまえば当たり前になるのだなと感じた。

2002年4月--2004年3月   日本学術振興会海外特別研究員
アメリカでの生活は味気なく不愉快なことも多いが、 日本にいると社交や娯楽などの誘惑が多いので、 数学に専念するためアメリカに行くことにした。 数学者として成功する人間は、主に二通りに分けられると思う。 貪欲な人間と数学だけが好きな人間だ。 自分は後者に属すると思うが、 もう少し欲があれば今よりも努力ができるのかもしれない。 当初の予定では二年間ずっとBerkeleyにいるつもりだったが、 招聘を受けてUCLAに半年余り滞在することになった。 どちらの土地でも、数学科の事務を通じて下宿先を探し、一部屋借りて住んだ。 ParisやPennState大学にもしばらく住んだ。 しがらみもなく、持ち物といえば少しの衣類にノートPCだけなのだから、 引越しも楽なものだ。

2004年4月--2011年3月   東京大学大学院数理科学研究科 助教授(2007年より准教授に改称)
大学で講義をするようになったら、というかルーティンワークが増えてから、時間が経つのが早くなったように感じる。 04年からしばらくの間は東大とUCLAを行き来する忙しい生活を送った。 助教授になってただでさえ研究のためのまとまった時間をとることが 難しくなったというのに、本末転倒である。それでもPopaとの共同研究は実りが多かった。 自分が保守的になったせいか、研究集会に出たり新しい論文を 読んだりしてもワクワクすることが少なくなった。 新しい分野を開拓すべき時期なのだろうが、相変わらず休み期間には目一杯講演旅行を詰めてしまうので、 勉強する暇がない。 他方で、国際数学者会議(2006)にも招待されたし著書(2008)も出版したので、 今後はあくせくせずにのんびりやっていこうかという気分もある。 2007年秋にTorontoのFields研究所に滞在。2009年秋にBonnのHausdorff研究所に滞在。

2009年4月 日本数学会春季賞

2010年2月 結婚
海外の友人たちから、これからも今まで通りに旅行するよな/できるの?などと言われた。

2010年3月 日本学術振興会賞

東大数理は環境がよく、周りの人たちも親切なのでずっといるつもりであったが、 同時に東大数理のことしか知らずに生きていくのはどうかという思いもあった。 そのようなときに機会を得たので、京大数研に移籍することを決めた。 10年間過ごしたオフィスを初めて掃除したらとんでもない量のゴミが出た。 さらに一般書・教科書・論文の類も大半を処分し、新天地への出発に向けて清々しい気分になる。 日本において横浜・東京以外の地に住むのは初めてだ。これも新たな刺激となるのだろう。 しばらく中長期の海外出張が多くなる予定なので、教育義務がなくなるのも嬉しい。 一方、これまで研究においては充実感や達成感を感じる仕事が幾つかあったものの、 教育においては失敗ばかりでそのようなことがなかったのが心残りだ。

2011年4月--現在   京都大学数理解析研究所 准教授
2011年4月中旬〜7月中旬 Poincaré研究所滞在。10年ぶり。

目次に戻る。