International Congress of Mathematicians 参加印象記
(現在作成中)
1998年8月17日月曜日
朝9時ころ関西空港を立って、ベルリンのホテルに着いたのが
18時ころであったが、20時までレジストレーション
をやっているということだったので早速ベルリン工科大学でレジストレーション
をすませておく。今回の旅行は東海林さんとずっと同じ日程だったが、
この日は東海林さんの着くのが遅れてあえず。
8月18日(火曜日)
ICM始まる。京都の開会式ははっきり言って退屈だったが、今回の開会式は
十分面白かった。それは、ひとつにはビデオを上手に使ったことと、お偉方の
スピーチが京都のときと比べて格段に面白かったからだ。文部大臣代理が自分たちが
いかに科学振興のための予算を増やしてきたかを自負すれば、すかさずベルリン
工科大学の学長が「何とも使いにくい予算であることよ」と反論する。
これに対してその後でスピーチした大蔵省のお役人が即妙の反論をする(
もちろんジョークを交えた大人の反撃であった)、といった具合である。
日本のお役人たちはこうした能力には著しく欠けている。
さて、 Fields賞、 Nevanlinna賞の発表
となったが、特別賞の A. Wiles 氏を
除いて名前を知らず。自分が如何に傍流であるのか改めて思い知ったのであった。
東海林さんに
記念撮影をお願いした。
17時ころ、東海林さんと
戦勝記念塔(シーゲスゾイレという)
を見物にいく。
8月19日(水曜日)
午前は Nevannlinna賞受賞者の P. Shor の全体講演を聞いた。面白い話とは
感じたが、机上の空論におわることはないのだろうか? Nevanlinna賞の
候補者は計算機科学の数学的側面の業績著しいものということであるが、
その文章を読むと数値解析の人が含まれてもおかしくはない気がするのである。
にもかかわらず、どうも受賞者には妙な偏りがあるように思えてならない。
午後はバスツアーでシャルロッテンブルグ宮殿
を観光した。宮殿も宮殿すぐ外のエジプト博物館
もともに見事なものであるが、ガイドがくだらないことを
べらべらしゃべりまくって自由行動できなかったので欲求不満に陥ったのであった。
8月20日(木曜日)午前中はブランデンブルグ門
を見てペルガモン博物館へ行く。
ペルガモンの祭壇、
バビロニアのネブガドネザル王の凱旋門など、圧倒される
スケールと美しさである。ほかにも
バビロンの塔の模型(推定)など興味が惹かれる
ものが多かった。午後は M. Jones の話を聞いてから World Scientific の R. Lim
氏とレクチャーノート(東海林さんとのい共著)を売り込んできた。2ヶ月くらいで
OKかどうか返事するとのことであった。
8月21日(金曜日)朝8時から一日がかりでドレスデンへのバスツアーに
参加した。ベルリンからドレスデンまでほぼ3時間、しかし、ドレスデンでは週末に
State Festival があるということで、大変な交通渋滞であった。
結局ドレスデンの旧市街に着いたのは12時近くになっていた。この間の道路は
ハイウエーであるにもかかわらずでこぼこが激しく、眺めはよかったものの、
快適な旅とは言い難いものがあった。ヒッチコック監督の映画引き裂かれたカーテン
でポール・ニューマンがバスで西側へ脱出するところを思い出した私は贅沢もの
なのだろうか?
ドレスデンの教会やツビンガー城
で写真をとってその後で昼食をとる。この
昼食がなかなかこなかったためさらに時間を消費し、ツビンガー城内部の見学には
30分程度しかかけられず大変もったいないことをした。14:30にバスに集合
ということで息せき切って帰ってきたのに2,3名がもどらないために延々と
待たされた。35分待ってもまだ1名戻ってこなかったが置き去りにしてマイセン
へ出発した。マイセンでは
磁器の製作工程を実演入りで見物し大変勉強になった。
しかし、それが終わってショッピングしようとしたら工場内の店は閉まっていた。
17時で閉まってしまうようだ。ただただ残念。
結局ベルリンに帰ってきたのは20時をとおにすぎていて、大変疲れた。
前日までは天気がよくあたたかかったが、今日からは雨が降り始め、いささか
寒くなっている。最高気温は23度程度にまで下がってきている。大阪や京都の
暑さから逃れられるだけでも幸せである。
8月22日(土曜日)午前中は Hackbush と Morawetz の全体講演を聞く。
どちらもどこかで聞いたり読んだりしていた内容ではあったが、知識を
しっかりさせるにはよかった。午後は T. Y. Hou と L. Greengard の講演(
どちらも数値解析の講演であるが Application のセクションでの講演となっている)
を聞いた。 Hou の講演には多くの中国人が来ていたが、 Greengard の講演の聴衆はわずかであった(とはいっても次の週の私の講演の聴衆よりは多かったが)。
優れた内容なのに人気がないのは不思議である。Greengard は確かに秀才である。
降旗大介の講演は Greengard の講演と重なっていたので聞けなかった。
16:15--18:00 は東海林さんのポスターである。 M. Jones が来ていた。
8月23日(日曜日)まず
Check-Point Charlie へ行く。小さな
博物館があって、様々な人権抑圧などに関する資料が展示されていた。
内容は様々である。
亡命する6人をつめこんで検問所を突っ切っていった車とか、アメリカの反戦運動(
ジェーン・フォンダやモハメド・アリの写真など)、秘密警察の資料など様々
である。入り口には元ソ連共産党書記長の
ブレジネフのレリーフが飾ってあった。
"この男の命令によって処刑された人々を顕彰するためにこのレリーフを飾る"
と説明文が書いてあった。フィルムをもって来るのを忘れたために富士フィルム
を1本かったら一個 11.95マルク(この当時円安で1マルクがだいたい85円)
であった。ちょっと信じられない高さである。大阪なら3本買える値段だ。
その後はUバーンでアレクサンダー広場へ行く。途中の駅の通路で若いカップルが
バイオリンを弾いていた。大変上手だったので1マルクおいてきた。ドイツの
科学や文学も大したものではあるが、ほかの国でもそう負けてはいない。ただ、
音楽に関してはドイツは他の追随を許さないものがあるように思う。
フランスのワイン、中国の料理、ドイツの音楽は質・量ともに図抜けているのでは
なかろうか? 一方、私はドイツのワインについてはあまり感心していない。
アレクサンダー広場では聖マリエン教会でパイプオルガンを聞き、心が洗われた。
思わず「私は国際会議に来ているのに観光ばかりしています」とざんげしたのである。
一旦ざんげすると過去を忘れて清い人間になったような気持ちになるから
不思議である。すなわち、すぐまた観光プランを練り始めた私であった。
その後ベルリン大聖堂
へと向かう。ここはホーエンツォレルン家のいわば菩提寺で
あり、代々の王や王妃の棺など実に立派なのに驚く。またステンドグラスも見事
であり、あちこちに金(きん)をふんだんに使った豪勢なものである。
少し早めにホテルに帰り、30分ほど仮眠をとる。21:30からのオペラに
備えたのである。モーツァルトの魔笛は、話の筋は日本にいるころからCDを
聞いて理解していたが、演出は初めてみるものである。夜の女王は美しく
声も最高だった。それに比べるとパパゲーノはいまいちだった気がする。
席は2階の一番後ろであまりよくなかった。それでも上から2番目のクラス
だったのだが、後で東海林さんから「たかが1000円か2000円を
けちるからいけないのよ。私はいい席だったわ」と言われてしまったが、反論
できず。くやしい。
オペラが終わった後地下鉄の駅で Chi-Wang Shu (Brown大学教授) と久
しぶりに会った。
8月24日(月曜日)
今日は私の講演
の日だ。10:30に、司会をしてくれる
R. Jeltsch氏 に会う。
初めて会ったが、なかなか感じのいい人である。15:15から M. Avellaneda の
話(数理ファイナンス関係の確立論的話題)を聞いたがよくわからなかった。私の
講演は聴衆が少なかったが、その中に
V. I. Arnold氏 がいたのにはびっくり
した。いろいろとコメントをくれた。私の後の Beylkin の話はどこがポイントなのか
わからないうちに終わった。
義務は終わったので、ホテルの前にあるレストランで東海林さんと Sekt を飲む。
一仕事終えた後はシャンパンに限るが、あいにくと本物のシャンパンは高すぎた。
しかしここで飲んだメッテルニッヒ侯爵家ブランドのスパークリングワインも
なかなか酸味がきいててさわやかである。このレストランのソムリエは
えらく愛敬のある人で、英語はたどたどしかったが、サービス精神たっぷり
だった。機械で作ったんじゃないかと思うくらい顔が真ん丸で、見事な
くらいきれいにはげていた。東海林さんははげている人がきらいだそうだが、
この小父さんだけは気に入ったそうである。
金曜日から降り始めた雨は今日にいたるもやむ気配はない。風もますます冷たく
なってきた。日本でいえば11月くらいの気温であろうか。
8月25日(火曜日)
三輪さんの全体講演を聞く。午後は Deift の講演がなかなか面白かった。
直交多項式に関するで、 Freud conjecture, Riemann-Hilbert問題、KdV方程式、
steepest decent method, など面白いキーワードがぽんぽんと飛び出してくる。
Great talk である。しかし、これが数値解析のセクションに入っているのは
不思議でもある。解析のセクションの話題にするのが最も適当のように思う。
Deift の講演のすぐ後の数値解析の講演は Stronberg. 彼の話は非常に高い次元
で関数の近似を wavelet を用いて行うというものである。これは数値解析らしい
話である。 Deift の講演と Stronberg の講演の両方を聞いたのはもしかして
私だけだったかもしれない。それくらい、聴衆の入れ替わりは激しかった。
8月26日(水曜日)
午前中の全体講演はさぼった。会議録2冊は重いので郵送した。
午後は数値解析の講演を聞く。 Trefethen の話は Schwarz-Clistoffel 変換を
数値的に計算する話だった。面白い話ではあるが、他人にまねのできないほど
すごい結果というわけでもなさそうだ。講演の後、多角形ではなくなめらかな
領域を写像するにはどうしたらいいのか、という質問がでたが、それは難しい
とかいって答えなかった。愛媛大学の天野要氏の方法などわかっていないらしい。
これだけではないが、日本人のいい結果があってもなかなか評価されることは少ない。
こういった傾向は数学のほかの分野よりも数値解析においてより顕著である。
Enquist の話もwaveletである。homoganization の数値計算を wavelet でやる
ということだった。内容が特殊にすぎるように思う。
8月27日(木曜日)
ポツダム
さて、 セクション15, Numerical Analysis and Scientific Computing の
6人の招待講演のうち3人が wavelet に関するものであった。残りは流体力学が
一つ、直交多項式が一つ、等角写像がひとつ、ということである。かなり
偏った布陣であろう。しかし、セクション16、 Application には数値解析の
話題が3つ入っていた(上述のHou, Greengard と流体計算の Rannacher ).
従って、合わせてみればまずまずの釣り合いがとれていたと言えるであろう。
一松先生の書かれた1978年のコングレス印象記を読むと、かなり古典的な
近似理論と有限要素法が幅をきかせていたことがわかるが、今回と比べれば
感慨深いものがある。
会議録はインターネットで手に入れることができるので、私が聞いた人々の
内容についてはこれ以上コメントしない。
写真
プロシア軍参謀総長ローンの銅像の前で。東海林まゆみ氏撮影。
有名な Checkpoint Charlie で売っていた絵はがきから。