前書き

 私は、12歳の時に中学校に通いながらチェスを学んだ。
私の脳は新鮮で、選手としての技術の完成とマスターとしての盤上での創造的活動に
必要な限りない量の情報と基本的知識を吸収することができた。
この最初の課題に私は1923年から1927年の4年間を費した。
1927年にモスクワで催された第5回ソ連チャンピオン選手権大会の間に
私はマスターの称号を得た。
これで私の「チェス進歩」の最初の時期を終えたと言うことができよう。

 もし君がマスター達の中でも抜きん出ようとするならば、
あなたはより熱心かつより集中して修行しなくてはいけない。
より正確に言うと、その修行はマスターの称号得るのに必要なことよりも遥かに複雑である。
まず最初に、君は経験豊富でよく訓練された大会選手に直面しなくてはいけない。
そして次に、もし君の進展が早いものであれば、他の選手はより精力的に君に向かってくる。
 そして3つ目に、のぼるハシゴの各段階はどんどん難しくなっていく。
 この段階で、君は試合の解析と注釈の仕方を学ばなくてはいけない。
それにより君は自分自身の失敗と成功を批判することができるようになる。
君は家での実戦的研究に慣れなくてはいけない。
君は研究、チェスの歴史、チェス理論とチェス文化の進展に時間を捧げなくてはいけない。
 最後に、君はより経験を積まなくてはいけない。短く言うと、少し歳をとるということだ。

 これら全ての事に私は6年(1927-33)かかった。
この6年の間、私はチェスのみに従事していたと思ってはいけない。
この時期、私はレニングラード工科研究所に通っていた。
独立して研究することを学び、高校の時よりも君の地平を広げるのに最適の場所だ。
(私の意見では、高等教育はチェスマスターにとって有益以外のなにものでもない。
厳密に言えば、たとえ有益でないとしても必須ではある。)
 この第2の時期に私は試合の解析と注釈を学んだ。
雑誌「チェス誌」(後年の「ソ連チェス」)での定期的な仕事に加え、
「アリョーヒン対カパブランカ1931」や第7回ソ連チャンピオン選手権での試合集など
いくつかの本の出版を手伝った。
1934年に私はフロールとの番勝負に注釈をつけた。
(「フロール対ボトヴィニク」の名で出版された。)

 大雑把に1930年から1932年ぐらいの時に、私はマスターたち相手に勝つための訓練を始めた。
 次なる段階はさらに困難である。今や、君はマスター達の中でも抜きん出た人たち、
つまりグランドマスター達に勝たなくてはいけない。
私はこれを成し遂げるのに、更なる経験を積まなくてはいけなかった。
1933年から始まったソ連のマスターたちも参加する国際集会は経験の蓄積に大いに役立った。
私は解析能力も完全にしなくてはいけなかった。
私はアリョーヒンとエーワのリターンマッチのすべての試合に注釈をつけた。
私は自分自身の試合集(「試合選集」1937年)と第11回ソ連チャンピオン選手権の試合集
(「第11回ソ連チャンピオン選手権」1937年)を刊行した。
私は大会での戦術の細部を研究し、大会準備の方法を完成しなくてはいけなかった。

 私はどのように準備したのか?
 それは決して秘密ではない。
私は準備の技術を習得するや否や、その方法を「フロール対ボトヴィニク」の本で詳述した。
加えて、レニングラードでの1級選手に私の方法について特別講義をし、
1939年にはその方法の基礎を「第11回ソ連チャンピオン選手権」の本で出版した。
 何よりもまず、選手は試合の前に健康に気を付けなくてはいけない。
体調が悪いと成功も期待できない。
この関連でもっとも良い元気づけるものは15日間から20日間の田舎での新鮮な空気だ。
 私は、実際の準備をチェス文献の復習、特に、新しく興味深い試合に熟知することから始める。
読みながら、特に興味を引いた疑問をノートにつける。
次なる競技会での相手選手のすべての試合を研究もする。
その選手の特徴と得意な序盤変化を研究する。
これは大会中に各試合の準備の時にとりわけ有益なはずである。
 次に、競技中に使う予定の序盤の筋を研究する。
ここで、私の意見では、選手は、序盤の知られているすべての理論を
把握しようとするべきではないし、実際に把握し得ない、と注意しなくてはいけない。
1つの競技会につき、白番として3つあるいは4つの序盤の体系と黒番として同数を
把握していればまったく十分である。
しかし、これらの体系は徹底して準備されなくてはいけない。
もし君がそのような体系を持っていないとしたら、
君は非常によい成績で終わることは期待できない。
 しかしマスターにとって、序盤体系1つだけでは非常に不十分である。
君の相手選手は君に対して十分準備してくるだろうし、
まず、多くの局面で単純に機械的に指すことで君のチェスの地平が狭くなるだろう。

 これで君の準備の仕組みは動きはするだろう。
しかし、これはまだ十分ではない。
君が完全に安心できないものについては、訓練試合で試してみなくてはいけない。
もちろん、訓練試合はそれを秘密にしてくれる君のパートナーとしなくてはいけない。
そうしなければ、君の相手選手も君と同様それに十分習熟してくるだろうし、
君のすべての序盤準備は無駄に終わるだろう。
 これらの準備試合は君の序盤計画を試すことだけでなく、
他の観点からの訓練もしなくてはいけない。
特に、深刻な時間制限難に直面してきていたマスターたちに
私は長い間その弱点の克服の仕方を教えてきた。
不幸にも、見たところ数少ないマスターたちだけが私の助言を聞き入れたのだが、
それはひどく単純である。
訓練試合は、試合の質や結果ではなく時間制限を第一に考えて行わなければならない。
そして、この時間制限との試合はすべての主な変化を考慮することも含め、
時間を可能な限りうまく使うことが習慣になるまで続けなくてはいけない。
私が思うに、この方法は「時間難病」に苦しむ選手の90%が完全に治癒されると思う。
もちろん、例外の人は治療不可能な人たちだ。
 同じ方法が他の弱点を克服するのにも使える。
ある特定の弱点は克服されるまで特別訓練試合で集中治療しなくてはいけない。
そういった訓練試合を一通り終えて初めて、
マスターは次なる競技会での序盤レパートリーを決断することができるだろうし、
すでに実践にうつしているだろう。
さて、残っていることは、大会の各試合に対して個別に準備することだ。

 もし君が終盤に弱ければ、終盤研究の解析により時間を費さなくてはいけない。
訓練試合では、習熟を要する終盤への移行を目指さないといけない。
問題はより複雑ではあるが、同様の方法が中盤戦での君の欠陥をよくしてくれるだろう。
 最後に、競技会の前の5日間程度はすべてのチェス活動を完全に止めなくてはいけない。
君は休息をとらなくてはいけない。
さもなくば、君は戦いへの熱意を失うだろう。

 私自身が常に実行しようとしている完成を達成する
もう1つの可能性について言及しなくてはいけない。
 チェスマスターの技術の本質は何か?
基本的にそれは局面解析能力から構成されている。
確かに、盤前では君は駒を触らずに局面を非常に早く解析することができなくてはいけない。
しかし、君が可能な変化や実際の局面の評価の修行をしていることにかかわらず、
最後の手段として、チェスは解析の技術なのである。
 自宅解析はそれ自身特別な特徴をもつ。
君は時間に制限されないし、駒を自由に動かすことができる。
自宅解析と実際の試合のこの違いにもかかわらず、
それらには多くの共通する点がある。
よく知られたことだが、ほとんどすべての傑出したチェス選手は一流の解析士である。
 そこから導かれることは抑えることができない。
傑出したチェス選手になりたいと望む人は誰であれ、
解析の世界で完成を目指さなくてはいけない。

自宅解析と実際の試合には本質的な違いが1つある。
試合の間、君の解析は君の批判精神ある相手選手によって絶えず試されている。
しかし、自宅解析では非常に容易に客観性を失う。
この傾向と戦い、貧弱な解析と別れるために、君の個々の解析を出版するのは有益である。
そうすれば君は客観的な批判に晒される。別の言葉で言えば、
出版された解析や単純に出版された試合の注釈は完成への到達の確かな方法である。
 もちろん、1時間や2時間で「作成中」と書かれた試合のノートなどは
解析とは全くみなされ得ない。
そのような「解析」は純粋に悪く、容易に悪い習慣になり得る。

 これが私が選手にアドバイスすることのできるすべてだ。
私自身、絶えずそのアドバイスに従おうとしている。
おそらく、私の示唆のいくつかはいくつかの選手にはあまり役に立たないかもしれない。
各自、私のアドバイスを批判的に考察し、各人の能力と習慣を考慮に入れて
注意して適用しなくてはいけない。

 この本は私が1926年から1946年の時期に様々な機会に行った試合を100集めてある。
私の大会や盤勝負の表(269ページ)を見ると、
私はチーム戦を除いて全部で578試合、あわせて600試合を競技会でしたことが分かる。
つまり、この本は私のキャリアでした全試合のうち約6分の1が入っている。
試合は年次順に配列されており、
各年の最初にその年のチェス活動の簡単なノートが付けられている。
 この本は私の6つの終盤研究と2つの記事
(「ロシアとソ連のチェス学校」「コンビネーションとは何か」)も入っている。

ミハイル・ボトヴィニク