最近, ヘビサイドの伝記[1]を読んでみてヘビサイドがとんでもない天才 であることを思い知らされた. 我々が現在学んでいる電磁気学は, わかりにくい マクスウェルの理論をヘビサイド(あるいはヘルツ)が整備したもので あることはあまり知られていない. 彼は1912年のノーベル物理学賞の最終選考に残る程の 評価を得た科学者であるにもかかわらず終生貧乏で, 悲惨な死を迎えたということで ある. そのひとつの理由に当時の英国の郵政省の技師長をしていたプリースという 人物が彼の理論を認めなかったことがある. プリースは経験こそすべての源泉である と主張し, 「純粋な理論から恩恵を被ったことなど一度もない」と言って はばからなかった. また, 数学などは経験の奴隷であるとと言ったらしい. もちろん, 後にはこうした考え方はばかげていると見なされるように なったが, 彼のような考えはすぐには消えなかった. 理論と実践がバランスをとることができるためにずいぶんと多くの年月が 必要であったのである.
現在の日本も, 難しい理論などいらない, といい出す人間がぞろぞろ出始めている ような気がする: 百年前の英国に先祖帰りしないようにと祈るばかりである. 翻って私の周辺を見ると, 「数学は独自の世界だけで成り立つものであり, 他の学問分野から恩恵を被ることはない」と主張する人はだいぶ少なくなった ものの, いまでも存在はしている. どちらの意見もさみしい限りである. ひとつの学問分野の繁栄は(そう意識されるかどうかは別として)他分野からの 刺激に強く依存するはずである. 従って, こうした極論はいずれは消えるもの信じている.
今から20年くらい前には計算力学を酷評する人がずいぶんいたように思う. しかし, 本当に役立つものはいつか正しい評価を得るものであろう. これは どの学問でもそうであると思う. 問題は, それを推進した人々が年をとって 研究者としてのエネルギーを失う前に正しい評価が出るかどうかである.