作用素環論既習者向けの専門書。テンソル積と有限近似の理論は作用素環論のハイライトであるが、まとまった文献が(やや時代遅れの)Wassermann講義録しかないという状態が続いていたので、Brownの誘いに乗ってこの分野の教科書を共著した。だいたい2004年夏から2007年夏にかけて間欠的に書いた。構想が広がった(拡散した)ため、後半では特殊で高度な内容を扱っている。章毎に担当者を決めて構成・執筆したが、スタイルの違い(chatty/minimal)を解消するため、最終的には全てBrownが書き直した。
東大の修士論文。TAMUで1998年の秋から冬にかけて書いた。KirchbergのLLPの作用素空間版を考察した。この結果を利用して、「任意の可分C*環のイデアルはBanach空間として直和成分であるか?」という問題を解こうとしたが、できなかった。実際に出版されたのは2002年。
99年3月にUIUCであった研究集会の講演でPisierが何気なく出した古い問題をTAMUに戻った翌日解いた。証明はかなりトリッキー。ついでに上の問題も解けたかと思ったが勘違いだった。
上記の研究集会の最中に、KirchbergのC*環に関する定理が、証明をちょろっと変更するだけで、作用素空間に拡張できることに気付いた。これはEffrosとRuanが行っていた研究の穴を埋めるのにぴったりだった。99年6月に九州であったの日米セミナーのときEffrosに話したところ、その結果を引用してもいいかと聞かれた(と思った)ので、もちろんと答えた。後になって私の名前入りの共著論文が送られてきてびっくり。
IHP滞在中にEffrosの弟子のNgと知り合う。彼の出した問題の一つが解けたので、共同研究を始めることとなった。その後さらに別の問題が解けたので、それも載せることになった。
これもNgが出した問題。99年10月にやった。あっちを叩けばこっちが出っ張るという状況の中、3週間ぐらい集中した。それまでの証明はすべて気合一発でやっていたが、これは方針を立ててひとつずつ証明していった。Kirchbergと無関係なネタもこれが初めて。
また気合一発で証明してしまった。きれいな結果ではあるが、何かの役に立つことはなさそう。
Paris第六大学に滞在していたとき、Guentner-Kaminkerのプレプリントを読んでいて、彼らの重要な見落としに気が付いた。この論文のおかげで、作用素空間の外でも名前が売れた。数学においても、競争という側面を無視するわけにはいかない。
IHPにいた頃にRuanと話し合った。RuanがUIUCに帰って同僚のJungeに話したら、結果を改良してくれた。
01年春MSRIに滞在していたとき、岸本・境の核型C*環の既約表現についての論文を見る。論文で使われている核型の仮定が必要であることを示すため、同室だった泉先生と反例探しをするが、捕まえられそうでいて捕まえられなかった。9月に京都であった研究集会の講演で境氏から証明の鍵が「従順性」であることを知らされる。林氏の勧めに従い、この「従順性」が核型を導くかどうかを確認したところ、意に反して実際には、それが任意のC*環に対して成り立つことに気が付いた。
01年8月末にTAMUから東京に戻って数日後、Pisierから某氏がQWEP予想を解いたと主張していることを知らされる。さっそくプレプリントをダウンロードして読んでみたら、実際にはさらに強い(疑わしい)主張が述べてあった。反例を探すこと一ヵ月でようやく見つかった。反例の構成法をいじったところ、思いがけず別の問題が解けたので、論文にした。数学というものは、勢いさえあれば何らかの結果にぶつかるものだと思った。
AF環への埋め込みに関する予想を肯定的に解決。もともとはMSRIに滞在していたときに挑戦した問題だが、予想に取り組むときはまず反例を探すことにしているので、このときは失敗した。01年12月のOberwolfachでの研究集会をキッカケに改心し、年末に問題を思い返して、正月に酒を飲みながら計算していたら何もかもがうまく行った。実際にはもっと単純な(従ってもっと強い)主張を示すつもりだったのだが、後でそれは不可能だと教えられた。それを知っていたら、そもそも挑戦していなかったかもしれない。
この結果は論文にするしばらく前から知っていたのだが、大したことないと思って放置していた。しかし、02年秋Berkeleyで講演したときにそれに触れたら、Voiculescuから論文にするように勧められた。さらに某氏から私が解いたのはvon Neumannが出した問題だと指摘され、驚いてvon Neumann全集を調べたが、そこで述べられていた問題とは残念ながらチョット違った。結局、境氏の教科書に未解決問題として挙げられているのを発見した。
02年8月に承徳であった研究集会の最中、Rieffelの提示した問題を解いたと勘違い。大した貢献もしていない私が共著者となっていることに居心地の悪さを感じる。複雑な事情があったのだ。
02年から03年にかけての年末年始に一人でBerkeleyにいて手持ち無沙汰になったので、何か建設的なことをしようと思い、作用素環論における最重要未解決問題のひとつであるQWEP予想に関するサーベイを書いた。
初めて重要なアイディア・結果を出すことができた。Geの定理に自分で証明をつけたいという意識をしばらく前から持っていたが、03年1月末のUCLAで(QWEP予想の概説[14]の校閲ため)ConnesのFields賞論文を眺めていたら、鍵となるアイディアがひらめいた。ずいぶん興奮した。常にいくつかの問題を抱えておくことが重要だ。
Monod-Shalomの論文を読んで、上の結果に改良の余地があることに気が付いた。それをPopaに相談したら、改良に必要な仕掛けを次々に証明してくれた。私のあいまいな要求にも的確な答えを出してくるところなど、さすがは因子環職人だと思った。
上記二本の続き。03年末にBerkeleyでやった。Popaとの共著を通じて得た技術が役立った。Popaとの共著ではテンソル積を扱ったが、今回は自由積と接合積。同じネタをいつまでも引きずるのは気が引けたが、自分以上の適格者はいないだろうと思い直し、取り組んだ。04年の2月から3月にかけてPennStateにいたとき、環積に取り組んだらうまくいったのでその分を加筆した。
正確な時期は思い出せないが、01年の秋ぐらいに東京でやったはず。01年春にReadが示した定理を、夏のTAMU研究集会でPisierが分かりやすく解説してくれた。Pisierに勧められてそれを応用してみたところ、Connesの定理(1978)に作用素環の知識を必要としない簡単な証明をつける事ができた。さらに新しい結果に結びつくかもしれないと思って放置しておいたが、某氏から某誌に論文を投稿して欲しいと頼まれたので、引っ張り出した。Banach環の研究者向けに分かりやすく書いたつもり。(追記:09年秋になって、Banach空間論のある標準的な知識を合わせれば追い求めていた結果に到達できるということを知らされた。人に出し抜かれたのはこれが初めてだ。)
論文は書いてあったものの、いくつか結果に不満の残るところがあり、放置してあった。しかしいくら寝かせておいても一向に良くなる気配を見せないので、公表して手を切ることにした。内容はKirchbergの研究を推し進めたものだが、主定理を当人に説明したら疑わしそうな顔をしていた(やったぞ!)。
[15-17]の影響から脱するためには何か新しいことをしなければと思い、04年夏に研究を始めた。この結果を足場にして有名未解決問題である「同型問題」の攻略に着手する予定だったが、技術的困難のため計画は頓挫した。
研究の幅を広げるため、作用素環とは直接関係のない分野を研究した。双曲群についての既知の結果を相対的双曲群に拡張しただけで、大したことはやっていない。それでも相対的双曲群の勉強には役立った。
07年の春にUCLAでやった。簡単な議論できれいな結果が出た。それまでは、双曲群の弱従順性を示すのは技術的に困難であろうとの思い込みから、ずっとhigh-tech approachに拘っていたが、UCLAで心機一転してlow-tech approachを試したら、アッサリうまくいった。鍵となるのは二項定理を使った全くtrivialな補題だが、これは前年の秋に天から降ってきた。
Popaが出したアイディア・構想を整理拡張して形にしたもの。07年の春から初夏にかけてUCLAでやった。Popaの初めの動機は、有限群と自由群の環積がHaagerupでないことを示すことにあったのではないだろうか。この問題自体は、ほぼ同時期にスイス人のチームによって、我々の予想に反して、肯定的に解かれた。
論文[15]で群のクラスSを定義したとき、このクラスに無限可換正規部分群を持つ群があるか否かがすぐに気になった。そのような例は後に環積で見つかったが([17])、当初から気に掛けていたSL(2,Z)×Z2もクラスSに入ることを確認した。08年3月末のBanffでの研究集会で機会を得たので再び考えてみたら、組み合わせ論的に難しいと思っていた箇所が、自分の手持ちの道具でアッサリ解決できることに空の上で気が付いた。教科書を書いたおかげで頭が整理されたのだと思う。論文は1日で書いた。
08年8月にBędlewo (Poland)で行われた研究集会の報告書。2年以上前の結果で、論文[15]の補遺のようなもの。試行的な内容なので特に出版するつもりはなかったが、報告集向けに原稿を頼まれたので提出した。研究集会での講演内容とは無関係。
論文[23]の続編。PetersonやIoanaの理論を組み入れて結果を改良。08年3月にUCLAに滞在した折に、Popaに尻を叩かれて研究した。群測度von Neumann環の情報から、それを構成する材料となった群作用の情報を完全に復元できるような例を見つけようとしたが、あと一歩(?)のところで果たせなかった。
Dixmierの相似問題は、元指導教授のPisierが取り憑かれている問題だが、私は手の届かない反例が存在すると(今でも)信じているので手を出さなかった。しかし、09年2月にChennaiの研究所で2週間の集中講義を任されたとき、もう一人の講師であったMonodがこの問題について講義したので、その内容についてビールを飲みながら論議。彼の提案した方針では既知の結果以上のことは出ないだろうと踏んでいたのだが、予想に反して新たなカワイイ事実が判明した。[Notes2]で勉強しておいたことが役立った。
2009年の秋に3ヶ月間、BonnのHausdorff研究所であった長期ワークショップ「Rigidity」に参加。「Rigidity」は特定の分野・対象を意味しない一般的なテーマだが、自分にとってrigidityといえばとりあえずKazhdanの性質(T)かなと思い、題目通りrigidityについて研究。研究所/主催者は強力な研究者たちを招待しながらもセミナーも何も行わず、独りで数学に集中するも気の合う友人と談義するも本人次第という、すばらしい環境だった。
上記ワークショップの間にThomが持ち出した問題を解決。たぶん私の分野の誰に聞いても解決できたと思う。単独で論文になるようなネタではなかったが、Burgerらとの雑談を通して構想が広がったので、問題の周辺も調べてまとめた。同期間に研究していた論文[28]との間のシンクロニシティが興味深い。
論文[23]の主定理のひとつを拡張したもの。論文[23]の執筆時からそうしたことが成り立つと考え、以来折々に挑戦してきたが、2010年の冬に突然できた。あらかじめ「従順部分群のところだけユニタリ化」しておくのがミソなのだが、それに気づいたのは、全く無関係とはいえ論文[29]で見た同様の現象が頭に残っていたおかげだと思う。論文[22]と合わせて、80年代にHaagerupらがLie群論・実解析を駆使して得た弱従順性に関する一連の結果を、(函数解析的)群論の枠組みで再編するという目標をひとまず達成した。
2011年夏にTAMUであったワークショップで、Sapirが講義中に出した問題を解いた。双曲群の研究([21])で学んだKaimanovichの手法を当てはめただけ。距離幾何学の論文だが代数系の雑誌に投稿。編集者のSapirにより即日アクセプト。TAMUで毎年夏に開かれるワークショップは、1998年に留学して以来、前年(2010)を除いて毎年出席している。
Banach環の有名未解決問題に、可縮Banach環は有限次元のものに限るかというものがあるが、相似問題同様、wildな反例が予想され攻略不可能っぽい。しかし、2011年初夏にIHPに滞在していたとき、Monodに勧められてこの問題に取り組んだ。不可能なことを信じる練習である。この論文では、不可能な方ではなく、良い条件下では予想が正しいというよくある結果を出した。
やはり2011年初夏にIHPに滞在していたとき、MonodやThomと適当な未解決問題を取り上げてはブレインストーミングをしていたのだが、ある群論の未解決問題に取り組んだところ、自分たちの手に負えない環論の問題に突き当たった。そこでその筋の専門家やMathOverflowに尋ねて回ったら、要領を得ない結果しかないにもかかわらず、参照するための論文を書くはめになった。タイトルにある「irng」という造語は私の発明である。
Banach空間論は大学院生時代に少し勉強していたが、論文を書くのはこれが始めて。論文[31]同様、2011年夏にTAMUであったワークショップの際の話。Godefroyが講義中に出した問題に関して自分の考察を述べておいたのだが、しばらく経ってから本人から問題が解決したとの連絡があった。自分の考察と合わせて共著論文にした。
2010年の夏に、数学研究の専門的な話題を扱うウェブサイトmathoverflowを覘いていたところ、TAMU大学院生時代の恩師Johnsonが行列に関する興味深い問題を提示していたのを発見。手持ちの道具でtrivialな評価をnon-trivialなものに改良できたので知らせたところ、更に発展させてくれた。共著者たちのコネでPNASの定量的幾何学特集号に載ることになった。
論文[37]ともども、12年秋のCopen滞在中に書いた。両方とも作用素環論における最重要未解決問題の一つであるConnesの埋め込み予想(CEC)に関する論文である。こちらではCECと同値な量子情報理論の問題を扱った。論文電子投稿の過程で、当該論文について偏見なく審査できる専門家5人と、偏見なく審査できない専門家5人を挙げてくれと言われて驚いた。当初は面倒を避けるため完全に数学的な形式で書いたのだが、数理物理学者の査読者に修正を示唆されたので物理学的考察も少しだけ入れてみた。
[Notes5]を書いた09年夏に続き、12年の春(Neuchâtel)と秋(Copenhagen)でも予定されていた講師がキャンセルしたため、代役でsofic group/CECに関する講義をした。CECと同値なQWEP予想に関するサーベイ[14]を書いた縁なのであろう。講義を準備する過程で発見したことを書いたのが[36]で、講義内容を纏めて増強したサーベイがこの論文である。キャンセルした3人(それぞれ別人である)に研究の機会を与えてくれたことに対する謝辞をささげようかとも思ったが止めておいた。
近年有限型C*環の分類理論が盛んに研究されているので、誰かの役に立つことを期待して、しばらく前から知っていた有限型C*環に関する一般的な事実について書いた。これが論文の前半である。後半では分類理論への応用を目指して新しい研究を始めたが、周辺状況に鑑みて少なくともここまではできるに違いないと予想していたことを示せただけで、それ以上のことは何も出せなかった。
従順な作用素環はC*環に限るかという問題を否定的に解決。反例は非可分なものなので価値はそれほど高くない。C*でない作用素環には特に興味なかったし、経緯も思い出せないが、11年秋に反例構成の鍵となるアイディアを思いついた。しかし実行に必要な材料が揃わず諦めていたのだが、13年夏にOberwolfachで集合論研究者とビールを飲む機会を得たので、非可分の場合なら解決してくれるだろうと思い相談したところ、実際にそうなった。さらに可分の場合には私のアイディアは実行不可能なことも判明した。
普段は晩酌をして、その後は睡眠の妨げとなるようなことはしないのだが、研究集会懇親会翌日の休肝日に夕食後も気になる問題を弄んでいたら、思いがけないほど当たり前に解けてしまった。翌朝早くに目が覚めたので始発で研究所に行き即論文にした。夜に示されたことは日の光に曝されて蒸発するのが大抵なので、不安だったのだ。以前からコンピュータを使って定理を示す数学に興味を持っていたが、今回ようやく関係するであろう仕事ができた。とはいえ自分は実装に関してはまるで素人なのだ。
13年12月に京都であった距離幾何の研究集会の折、Part Iの著者らが取り組んでいたプログラムに横から口を挟んだらPart IIIとして共著論文になった。弟子(たち)と論文を書くのは初めてだ。
全ての従順群が擬対角的であるか否かは長年の未解決問題だが、初等的従順群に限れば、無限巡回群による半直積の問題に帰着できる。そして半直積といえば作用素環の分類理論でよく研究されている主題である。十年ほど前、この単純な事実を梃子に問題の攻略を思い立ったが全く手が出なかった。しかし近年になって核型C*環の分類理論が著しく進展したので、もしかしたらと思い、その立役者の一人である佐藤氏に相談したら本当に解決してくれた。
[41]に引き続き、師匠とも論文を書いた。Junge--Pisierの著名論文(1995)のオマケ問題(明記されてはいない)を解決。表題にあるこの問題は、私もPisierの元で学生をしていた時分に取り組んだことがあったが、そのときはできなかった。14年初めのIHP滞在中に、Pisierが関連する講演をしたので、十数年振りに協力して取り組んだら簡単に解けた。これまでの失敗の原因は技術的な側面に目を向けすぎたことにあると思う。乱暴的だが普遍的な構成法を試したらうまくいった。
14年春のFields研究所滞在中に、BlecherとReadの講演を聞き、彼らの基本定理の証明を簡略化・一般化できることを話したら、一方と共著論文を書くことになった。自分は短いものを書くつもりでいたが、Blecherがどんどん新しい内容を詰め込んだのでずいぶんと長くなった。主な道具は修士学生時代に勉強したMイデアル理論だが、ちゃんと道具箱に入っているものはいつか使う機会が来るものだと思った。
C*単純性はずいぶんと研究されてきた分野ではあるが、その口火を切ったPowersの仕事に目を奪われたというか、その方針を発展させることで手を付けられる問題がいくつもあったせいで、これまでみな同じ方向しか見てこなかったようだ。ところが2014年に第二第三著者の偶察により全く新しいアプローチが発見され事態が一変した。彼らの論文を査読していたらいろいろ応用できることが分かったので、新たに共同研究をすることとなった。
酒飲み仲間である共著者らが取り組んでいたプログラムに参加させてもらった。私は離散群とII型環が専門なので、論文で取り扱った局所コンパクト量子群やIII型環は耳学問でしか学んだことはなかったが、人生経験を積んだおかげか(専門家がついていれば)耳学問でも活用できるようになったようだ。もっと若ければその後使う予定のない事柄でもちゃんと勉強したのかもしれない。
新しい定理だと思ったが、知り合いが既に示していた。しかも前年の小樽合宿の際に説明してくれていたらしい。ともかく1ページの論文を出版できてうれしい。
著名なGromovの指数増大度定理(1981)にとても簡単な証明を付けた。15年秋に某氏から推薦状を頼まれたので、彼の論文を真面目に読んだところ最初の一歩に気がついた。この論文は広く反響を呼んだ。人々をあっと言わせるのはやはり楽しいものだ。私の研究の動機は大体そんなものであるが、仕事の質が軽いのはそのせいだろうか。
[46]の共著者である戸松氏からSL(n,Z)×R^nの群von Neumann環が充満であるかどうかを聞かれて考えた。当たり前そうに見えるわりには、証明の取っ掛かりが分かりづらい問題だったが、16年1月末の研究集会中に攻略法がひらめいた。集中している時ではなく、人の話を流し聞きしているときにひらめくことは結構多い。
共著者から[48]はもっとプッシュできるはずだと言われて頑張った。ランダムウォーク関連(一応)の仕事はこれが初めてだ。暇があるという理由で参加した14年のランダムウォーク関連のセメスター(IHP)で分野の雰囲気に親しんだことがこの研究に繋がったのだと思う。目標を定めずに研究をすることが多い自分にとって研究成果は大抵一度きりの化学反応みたいなものであって、どうしてそうなったのかは後知恵でしか分からないものなのだ。
論文[29]の続きのようなもので、第一共著者がRIMSに滞在していたときに一緒にやった。慣れた不等式の数々をくるくると操るときの感触が、自分の中を巡る運動力が対象に自然に伝わるような気分で、ある種の爽快感があった。有限群の有限次元概表現のときが本質的なのだが、無限次元の作用素環論で養った感覚が生きた。
arxivで見かけた論文に挙げられていた問題を解決して著者らに連絡したら共著論文になった。
[40]の続き。当時夢見たことが現実となった。高性能計算機を使った大規模計算により、Aut(F_d)がKazhdanの性質(T)を持つか否かという有名未解決問題をd=5の場合に解決。答えは大方の予想に反して肯定的だった。このような定理が計算機で証明されるとはえらい時代になったものだ。その後、共著者らによってd>5の場合も肯定的に解決された。
18年2月の京都作用素環論セミナーでTingley問題に関する共著者の講演を聞いてすぐに興味を持った。Tingley問題は何のためにあるのかわからない孤立した問題だが、この手のゲテモノが好物なのだ。写像の線形性という普段始めから仮定しているものを引き出す問題であるため自分には土地勘がなかったが、共著者の道案内で迷わずにすんだ。
因子環の充満性を双加群で特徴付けられるかというmathoverflowにおける第一共著者の質問に答えたら、とある未解決問題の解決に発展した。特徴付け自体は自明な言い換えに過ぎないが、研究が始まるきっかけはえてしてそうしたものだったりする。第二共著者が近くにいたという偶然も大きい。補遺では以前から気になっていた問題を扱ったが、手詰まりに陥った際に、Haagerupでもなければ無理と戸棚から引っ張り出した論文にほぼ答えが書いてあった。論文は20年前、私がM1の頃に本人に頼んで直接コピーさせて貰った手書きの草稿だ。故人の息吹を感じた。
思いつきで再びランダムウォークの研究。解析学はhard analysisとsoft analysisの2つに分けられると言われるが、私の研究は断然soft寄りだ。hard/softの分類は内容(定量的/定性的)で行うのが一般的だと思うが、自分としては研究の流儀で行った方が(説明は難しくなるけど)しっくりくる。そちらの方がより固有のものだからだ。そのようなわけで自分の中ではhardとsoftはライバルなのであって、hardな手法で得られていた定理にsoftな手法による簡明な証明をつけた今回の仕事は、いくばくかの得点を挙げたことになるのだ。
20年夏の鶴居村合宿をきっかけに始めた共同研究。Rotaによる「Every mathematician has only a few tricks」という有名な警句があるが、自分にとってそれはHahn--Banachの定理(及び凸結合に関する議論)なのだと思う。関数解析学におけるイロハのイともいえる基本的な定理であるが、これを身につけていたおかげで突破できたことは数多い。道具箱にはいろいろ入れてあっても、周辺状況や他の道具と適応・連携させて使いこなせるものとなると実際には極わずかだ。
自分の研究スタイルはというと、タネをよそで仕入れてきて、庭にまき、うまく育ったものを成果とするという塩梅だ。そのようなわけでコロナ禍での引きこもり生活で研究が滞った。あるいは冒険心の衰えのせいか。新しい価値を取り入れることに消極的になったり、思いついたことの成否確認をすぐにせずグズグズするようになった。この仕事では論文[53]に関連して、計算機が生み出した数学を漁って人間が掬えたものを形にした。人生で初めて三角関数の和積公式を研究に使った。
Kirchberg追悼論文集に載せるため、何年も前から自分の頭の中で出来ていたことを論文にした。実際に書いてみたところ、証明が大幅に簡略化されたうえ結果もよくなった(超有限因子環のあたり)。やはり頭の中にあることはそのままではあやふやなのであって、紙に打ちつけて細部に至るまできっちり形にしなければ見落としを避けられない。出来ているつもりのことだけでなく、出来ないことが分かったつもりになっていることでもそうだ。
23年秋のFields研究所滞在中に、Farahから聞いた粗幾何学の問題を解いた。さして意味ある問題とも思えなかったが、とにかくやってみたところ思いがけない答えが出て興味深い結果に繋がった。作用素の擬局所性が近似的有限伝播性と同値か否かは導入以来不明であったが、前述の問題の答えがそれらに対して分かれたので相違が判明。後者だけを狙って解こうとしても無理だったに違いない。棚を開けてみれば牡丹餅にありつけることもある。
第一共著者から教わった予想を解決。自分が専門とする作用素環論の下部構造にあたる正値作用素についての初等的な予想とあって、もし正しいのなら、たとえ何の役に立たなくとも、自分が知っていなければならないという使命感に駆られた。(そのようにして、幾度となく傲慢の罰を受けてきたのだけれども。)
00年2月のexactness論文[7]以来、助手に採用されたり、MSRIに九ヶ月滞在したりしたにもかかわらず、1年以上研究が滞ってしまった。それで01年夏のTexasで、何でもいいから論文を書かなければと思い立ち、Dykema予想に取り組んだ。ところがもう少しで解けそうだというところになって、予想が実は既知の結果から簡単に従うことを悟った。仕方がないので結果を少し一般化して書いた。九月に入ったら別の研究[9,10]が忙しくなったので、不完全な仕上がりのまま講究録に載せてしまった。
相似問題(Similarity Problem)の偏ったサーベイ、というか勉強用のノート。楽しいところだけ選んで書いたつもり。この分野は未解決問題こそ多いけれど、どれもwildな反例が予想され攻略不可能っぽい。
京都大学で05年10月に行った集中講義(5コマ)の記録。ノートを取ってくれる人がいるとはありがたいことです。
東大の講義ノート。戸松くんによる手書き版も存在する。主な内容は、Feldman-Mooreの定理、Connes-Feldman-Weissの定理、 L^2-Betti数に関するGaboriauの定理(授業でやった証明は結構いい加減だったので書き直した。)、可閉微分作用素に関するSauvageot, Petersonの定理。PopaのCocycle Superrigidityもやるつもりだったが、時間切れになった。
TAMU夏学校の記録。本来の講師がキャンセルしたため、ピンチヒッターを任された。既に発表されていた講義のタイトルとアブストラクトをそのまま使った。
論文[45]の内容とそれを理解するための予備知識をself-containedに纏めたもの。当該理論を活用する人が増えてくれることを期待してのインフラ整備である。
「数学」の論説で作用素空間について何か書くように頼まれたので、名誉なことと思い引き受けた。他分野の研究者向けのサーベイを書くのは初めてで、いろいろと面倒くさかった。もうやりたくない。
日本数学会春季賞の受賞講演予稿を「数学」の論説向けに大幅に改定したもの。サーベイを書くのは相変わらず苦手なので、書くのに苦労した。実を言えば、「数学」の論説というのは、自分の分野の話題こそ飛ばし読みするが、それ以外は読んだことがない。他分野のお話を、ふんふん、と読めるのは2,3ページが限界ではないだろうか。