ストークスの定理は電磁気学や流体力学を学ぶときには必須の働きをする重要 なものであるが, これが印刷されたものとして最初に世に現れたのはケンブリッジ大学 の試験であったというのには全く驚かされる. (10) を見たこともない学生は, 「これを証明せよ」という試験を出されても 困惑したであろうことは想像に難くない. ストークスが試験に出したのでストークスの 定理と呼ばれているのであるが, それを最初に証明したのはウィリアム・トムソン で, 彼がケンブリッジに向かう列車の中でこの積分定理を思いつき, それをストーク スへの手紙に書いて, それをストークスが試験問題に出したのがストークスの定理と 呼ばれようになったゆえんであるということである([3]). 従って, 本来これは トムソンの定理(あるいは, トムソンはその後ケルヴィン卿となったのでケルヴィンの 定理)と呼ばれるべきである--これが現在の我々の常識であろう. しかし, ケルヴィンは自分の著書でもこれに対する先取権を主張していないところから見て, 当時の 人々には現在よく言われるような「Publish or Perish (論文を書け. さもなくば 死ね.)」といった状況はなかったのであろう. このふたりは大変仲のよい友人で, 互いに尊敬しあっていたということである.